おはようございます。横須賀市議会議員の堀りょういちです。
先日、39歳になりまして、その際に「不惑の年を目指して揺るぎない心をーー」云々申し上げたところでしたが、
それで色々「不惑」についての情報を調べていたら、
孔子は「不惑」なんて言っていない。「不或」と言っていたのであって誤植だ。
という意見がありました。(なんて読むんだろう)
https://comemo.nikkei.com/n/n2b4d297bbed6
これが事実だとすると、全然意味が変わってくるわけで、
上記の記事の安田さん曰く
「
孔子の時代に存在したのは、「惑」ではなく、「或」という漢字です。これは、「区切る」という意味。つまり、孔子は「四十にして区切らず」と言ったと、考えられるのです。
40歳くらいになると、自分はこんな人間だとか、自分にはこれは関係ないとか、まわりに柵を作って区切り始めますでしょう? 孔子はそんなものを排除して、もっともっと、いろんなことをしなさいと言った。それをやることで、自分の本当にやりたいことが見えてくると。
でも、いわゆる「自分探し」なんかしてはいけません。それもまた、最初から自分を、制限し区切ることですから。
」
なるほど、それで10年後に、50歳の「天命を知る」になるのかと。
松下幸之助の言うところの「融通無碍」「素直な心」こう言ったことの体現というべきか、
自分の「こうあるべき」「こうでなければならない」という思い込みを廃し、自分のありのままの気持ちを大切に、挑戦する気持ちを大切にしろと。
40歳って一番それが難しい年ですよね。
会社員であれば中間管理職で、上からも下からもプレッシャーがかかる中で、自分の「やるべきこと」に邁進しなければならない。
時間の余裕なんかも心の余裕なんかもなさそうです。
これは「不惑」よりも難しいかもしれない。
そういえば、昨日、挨拶回りをしている中で上町にある古本屋AMIS(エイミス)さんに寄って、露店で平積みしてあったこちらを購入しました。
私は週一スーパーで一週間分の食材を購入していますが、野菜の選び方など勉強したいと思いつつ、後回しにしていました。
その意味でこれは出会い。早く読みたくてうずうずしています。
安田さんも上記インタビューの中で、書店で一度も行ったことのない棚へ行くことの大切さを書いていました。
(そう、これが偶然に重なったので、このことをブログを書くことにしている 笑)
自分の仕事の世界とは関係ない本に出会うことの大切さ。
そして、あとは人との出会いも大切ですよね。
自分の仕事の関係の人ばかりと話をしているとどうしても視野狭窄に陥りがちです。
多種多様な人との出会い、これもまた大切にしないといけないなと思いました。











