「歴史の中で女性が虐げられた歴史がものすごくある。
女性のDNA、ミトコンドリアの中に常に虐げられた歴史があって、その怨念、無念さが今の社会を構成していると思う」
この発言が議場で出た時、私は耳を疑いました。
この後、私たち会派の加藤ゆうすけ議員がその後の委員会で市長の発言について問いただすと、その内容を擁護するような回答が、行政職員から飛び出し、さらに驚きました。
6/20の記事で、朝日新聞の取材に対し「不用意な発言で誤解があったかもしれない」と、問題の本質を捉えられていない市長の発言が出て、これはまずいと内外で動きがあったのでしょう。
翌日6/21に会見が開かれ、自身の発言が不適切だったとして謝罪し、撤回も含めて検討する考えを明らかにしました。
まだ正式に撤回したわけではありません。撤回を含めた検討、ということです。
今回の発言の問題点はいくつかあると思いますが、主に以下の3点だとホーリーは思います。
1.本会議という公式な場で、非科学的で根拠がなく、歴史的背景を踏まえない発言を自治体の長がしたこと。
2.それを止められる職員がいなかったこと。
3.ジェンダーに対する差別を助長する可能性のある発言であり、市長の言う「誰もひとりにさせない街」の逆を行く発言であること。
1に対して、「歴史の中で女性が虐げられた歴史がものすごくある」これは事実です。
しかし、そんな過去から今にいたるまで少しずつ女性が権利を獲得できてきたのは「怨念」によるものではありません。
- 性で区別されないという、当たり前の権利を当たり前に主張してきただけであり、多くの差別や偏見に晒されながらも、それを少しずつ獲得していった多くの先人達の勇気と努力によるものではないでしょうか。
これを「怨念」と表現してしまうことには、市長に誤った歴史認識や、ジェンダーに対する差別や偏見が潜んでいると思われても仕方がなく、「誤解だった」という一言では片付けられないレベルなのではないでしょうか。
次に2について。
市長の発言の問題に気づき、その場で発言を撤回させることを市職員はできたはずです。
しかし、それはなされませんでした。
もちろん、市職員皆が市長の発言に違和感を感じなかったわけではなかったと思いますが、トップの行動を変えることには至りませんでした。
(諫めたけど、市長が頑なに聞き入れなかったと言う可能性はあります)
行政組織が市長に逆らえない体制になっているのでは。
市長に適切な助言やアドバイスができる人がいないのでは、と不安になります。
最後に3について。
市長は多様性を尊重し、「誰もひとりにさせない街」を実現し、一貫して取り組んできました。
私は、自殺対策を推進するNPOで働いてきた自身の経験を踏まえて様々な提言を現市長に行ってきました。
そして、市長はその多くに共感を示し、実現へと繋いでくれていました。
その意味で、市長の「誰もひとりにさせない街」への意気込みは間違いないものだと、まだ私は信じています。
ぜひ今回の発言について真摯に向きあい、そしてその発言で傷ついた多くの人に謝罪の言葉を述べ、
真に「誰もひとりにさせない街」の実現を目指してほしいと考えます。
6/23(金)は6月定例議会の最終日です。
一連の市長の発言について、謝罪や撤回があるのか。
まずはそこを注目しましょう。